書きかたの本、話しかたの本

いやほんと、本棚を見られるのは臓物を見られるような恥ずかしさがある。
気恥ずかしいなんてものじゃなくて「湯船のなかでボケっと油断している時の自分を見られる」ような羞恥心。
考えていることや興味のあることなど、ある程度コアな部分になるからでしょうか。

自宅には本棚が数箇所に分けて設置してありますが、だいたいが用途別にわけて置いています。
料理系のものはキッチンに、雑誌や情報誌系はリビングに、といった感じ。
その他の自分しか手に取らないようなものは自室に置きます。

よく使うのが、書きかた・話しかたの本コーナーです。
書きかたの本は、漢字がわからなくなったときに良く出てきます。

そしてこれは「恥ずかしいほうの本棚」ですね。ははは。

文字ぐらい知ってるでしょ、わからなければ検索すればいいやと言われそうですが、印字や画面表示に最適化された「フォント」ではわからないんですよ。
どこが一番長いのかどこが狭いのかどれだけ右あがりなのか左にはねるのか止めるのか、本当に何もわかりません。

それに私自身も習い始めてから気がついたのですが、自分の知っているその文字、いつも読んで書いているこの文字、本当に合っているのでしょうか。
私はわりと間違えていましたよ。書き順番しかり、漢字そのものしかり。
フォントで覚えた漢字は正しくないと実感しました。

あとは、話し方の本です。
他人と対面して話をすることが多いのですが、これがまた難しい。

ただ会話するのではなく、受身で居るのでもなく、こちらから取り仕切ってなおかつ自然に伝えたいことを伝え、聞きたいことを聞き出さなければいけない。
老若男女問わず、個人的にその人が好きであろうが苦手だろうが、初対面のかたでもよく見知ったかたでも、相手が私のことを好いてようと嫌っていようと、きちんと話をする。

つらいです。つらかったです。いや、いまもつらいですけど。
正直なところ、とても苦手なんですよそういうの。

これまで、他人と話をするのは好きだし得意なほうだと思っていましたが、違いました。
私が好きだったのは「私に好意と興味があり、私が気持ちよく話す内容を無条件に聞いてくれる会話」だったんですよね。
もちろん、聞くのも「私が興味のある内容」しか聞いていなかった。
今思えば、そんな気を許した甘えた会話しかできなかった。

そこで、そんな私の教材がこのあたりの本です。
聞きかたや話しかた、言葉の選択肢を増やすもの、どれもとても良い本ですよ。

天性のものなのか、努力あってのことなのか、雑談の瞬発力のある人ってほんと素晴らしいと思います。

収納の問題もあるので、最近は電子媒体で買うことも増えました。
確かに本棚の整理には良いけども…なんだか「本を買ってきたぞ!」みたいなアレが薄くて素っ気ないような。
手元に取って味わうかんじがないです。

そういえば、以前テレビで片付けだかリフォームだかの特集で「本棚に収まりきらない本を横積みで柱にして、天板を設置してテレビ台に変身☆」しているのを見かけました。
その人にとっては、本はゴミと大差ないのでしょうね。なんだかとても悲しかった。


化粧品カウンタで肌チェックされてるときの、あの接写カメラもかなり恥ずかしいです。