37歳妊婦が思うことと過ごし方 – 妊娠初期 6週~15週(妊娠4ヵ月)まで

いやまぁ、子供を作ってるんだから、出来ても不思議じゃないんですけどね。
うちの夫婦には10年間、その「当たり前」がなかったわけで、本当に驚きました。

この記事を書いている現在で妊娠10か月、臨月に入ったところになります。
まさか我が家に子供を授かるとは。
驚きと嬉しさと、一抹の不安を覚えつつ、子供に会える日を楽しみにしております。

出会いは突然に

受診してエコー写真で2cm足らずの丸い何かを確認し、それでも信じられなかった。
先生も「妊娠初期はとても不安定で、流産なども止められるものではないし、母体の責任も少ない」と暗に「期待しすぎるな」とでも言うような対応で、私も期待しすぎないように「いつもどおりに」過ごしていました。

「おめでとうございますと言われなかった」といった意見をたまにみかけますが、私はそんなことはなかったです。先生も隣の看護師さんも初診時に言ってくれましたよ。

不安定な時期とはいえ最初にひと安心したのは、7週目に心拍が確認できてからですね。
次に感じたのは10週あたりです。
このあたりから、先生も「出産」に向けて話をしはじめるようになり、母子手帳を受け取りにいったり、出産予約やマザー教室なんかの説明もこの頃にありました。

当初は、実感もなにもなかったですね。
嬉しさとか驚きとかの感情よりも、信じられなくて夢のような現実味のなさが大きかったです。

なぜ今このタイミングなのか。
主人とは20歳から交際スタートし、26歳で結婚。30歳から不妊治療を試み、35歳で終了しました。
妊娠が判明したのは、それから約1年半後の36歳のとき、37歳になる年です。

主人の家族の介護も始まりつつあり、仕事も立場や責任などで身の振り方をよく考えないといけない時期で、「子供を持たない」と選択したのはその方向性を絞ったということでもあったのですが、それが一気に変化します。

もちろん、欲しくなかったわけではないです。
街中や友人らの子供をみるとうらやましかったですし、それなりにはいろいろと感情もありました。

ただ、分岐点があり道を進みはじめた時に、選ばなかった道のほうから声がかかり、もちろん選んだほうの道にも待っていることがたくさんあり、困惑しているような状況でしたね。
これからの状況はまたどうなるかわかりませんが、常に私にできることをするしかないので、キャパオーバーせずに上手に過ごしたいと思います。

特に仕事がね。今退職する選択はしませんでした。
出産後に退職の予定もありませんので、産休後に育休へ突入しますが、長期間そのまま休めることはなさそうで、完全にフルタイム復帰までは臨時で出勤や在宅での対応になりそうです。

ブログでは会社や仕事のことは書かないようにしたいのですが、一連していろいろと発信したいこともあるので、そのうちまとめて記事にしてみようと思っています。

余談ですが、誕生月が12月だと「何歳です」と表すのがややこしいですよね。
私はいつも迷います。1つなんで誤差範囲ではあるんでしょうけど。
年々、自分の年を思い出すのに時間がかかるようになってきたのもありますけどね!よく間違えます。

旅行の予定はキャンセルせず

妊娠前から計画していた台湾旅行もあったので、行ってきましたよ。
何をしていても育つ子は育つし、育たない子も一定数いる。それなら必要以上に怖がらずに心配せずに過ごそうと思い切りました。

それでも、旅行行程にはゆとりを持ちましたね。滞在中も長時間歩きまわらないようにこまめに休憩し、荷物の重量と足元に気を付けていました。
秋だったので気温は台湾にしてはさほど上がる時期ではなかったのも幸いです。日本よりは暑いですが。

同行の友人には、いろいろと気遣わせてしまったけれど感謝しています。
黙って行くのは良くないだろうと、心拍確認後にすぐに報告したら、最初は「旅行を中止しよう」との返答だったんですが、「中止は承知するけど私はひとりでも行く」と意思を伝えたら「それなら付いていく」と同行してくれました。

途中で体調を崩したり、荷物を持たせたりいったようなことはなかったのですが、妊婦が一緒というだけで気苦労もあったろうと思います。
旅行費用が比較的安価で済むのも台湾の魅力のひとつですが、今回は金に物をいわせて、タクシーや送迎を多用したり、朝市夜市ではなくホテルやレストランやカフェ利用が多かったこともあり、そこそこの出費になりましたが、それも含め楽しんでくれるタイプなのも助かりました。

文鳥占いでは宝くじに当たると言われていたので、彼女に幸ありますように。

現地空港到着後は、いつもはバス行列コースですが、今回は初めてホテルハイヤーを手配しました。
赤服のホテルマンがぴっかぴかのAudiが迎えにきていて、車内ではジュースなんかも出され、束の間の金持ち気分満載の思い出です。中国語じゃなくて英語だったのもよかったな。
帰りのフライトは台風直撃で、空港難民にもなりましたけどね。それも貴重な思い出です。

沼のような眠気と、食べ悪阻タイプでした

「ウッ!気持ち悪い! …バタバタ …ハッ、まさか?!」とか、「妊娠してからなにも食べられなくて血を吐いて入院…ゲッソリ」みたいなドラマも悲壮感もありませんでした。
おそらく私は悪阻は軽いほうなんだと思いますが、空腹時のほうが具合がわるくなる食べ悪阻タイプだったのもあり、体調が悪そうだねとも言われませんでしたね。

ただ、ひたすら乗り物酔いのような眠気がとれず、空腹が怖くて常におにぎりか甘食を食べている期間でした。
「最近いつも何か食べてない?」とは言われました。
デスクで飲食できる環境なので、そんなに目立つこともないと思っていたんですが、多頻度すぎたんだろうな。

それなりには体力気力も消耗しましたが、夜と週末にできるだけ休んで平日の仕事に備えるようにしていました。
妊娠してからしばらくは、新しく予定を入れないようにもしました。

私は家族の協力があったので、体調>仕事>家事の優先順位で、一時期は全く家事をせず休日には寝てばかりでも怒られもしませんでしたが、この時期にあまり協力を得られなかったら、わりと辛かったかもしれません。

仕事業務や出張は、いつも通りです。
時期的にはさほど忙しい時期では無かったので助かりました。残業も月20時間ほどでしょうか。

もしも急に入院になったり、調整が必要になるときのことを考え、心拍確認後に上司にだけ先に報告しましたね。
この時にすでに1月2月には産休に入っていたいと伝えているはずなんですが、なぜか3月末までみっちり仕事がありますけどね。なぜかね。

たまたまこの時期に、会社の創立記念謝恩会もありました。
準備する側の立場だったのですが、これも大変だったな…
事情を伝えている上司は何かと気を使ってくれていましたが、それでも当日は立ちっぱなし段取り采配しっぱなしでとても疲れました。
帰りの電車では、疲れと乗り物酔いで吐きそうになっていたのを堪えて帰った思い出です。

体調が一番つらかったのは、やはり愛猫が他界した時期です。
倦怠感を伴う悪阻もひどくなるし、鮮血での出血や腹痛もあり、心の片隅でもうだめなんだなと思っていました。
先に待つ愛犬のもとへ、愛猫が連れて行くんだなと、おかしな納得もしました。
幸いにもその後容体も安定し、今は順調に育っています。

心因ストレスの影響ってのは、こわいですね。
この時期の主な私のストレスはこの一件くらいなのですが、ここに仕事や家庭なんかのストレッサーが大暴れしていたらどうなったのかわかりません。

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